2011年7月 のアーカイブ

地鎮祭、力御守、七五三参り

2011年7月28日 木曜日

7月18日は大安祝日にて、賑やかな一日でした。

早朝より、地鎮祭がありました。

毛谷黒龍神社の地鎮祭の祭壇

神饌も榊も新鮮なものを使います。

 

―力御守―

主人が病気に掛かりがちで・・ 手術する人がいて・・・ 子どもが明日試合なので・・、

気力を戴きたくて・・ 外国人のお友達にプレゼントしたいので・・・ 元気になりたい・・、

運を戴きたい・・・、色々な想いを抱かれた方がお参りと力御守りを受けに来られました。

 

―七五三の参拝で記念撮影―

ご予約されていた、今年最初の七五三参りが執り行われました。

色々な諸事情によって、早めに七五三詣でのお祓いを受けにこられる

ご家族が7月8月にかけて参拝されます。  海外へ行ってしまうので、

県外に引っ越してしまうけどどうしてもここで七五三を受けときたい・・、 

その他、いろいろなご都合でお参りに来られるご家族がおられます。

とにかく「おめでとう!」(^^)b

 

午前午後と初宮参りと安産祈願を奉修し、この日は夕刻より、

米寿のお祝いが執り行われました。人生儀礼は家族の心を

確かに繫いでゆく重要ツール。いつの日か、和と絆の支えに・・。

 

 

夏祭を奉修。

2011年7月26日 火曜日

7月24日、午前11時より毎年執り行われる毛谷黒龍神社の夏祭りが斎行されました。

 

 

当神社氏子総代 花山会長をはじめ、役員の方々、そしてお祀りに御花、御茶を

供えて頂ける足羽婦人会の皆様のご参列のもと、厳粛に祭事が執り行われました。

 

【参列された総代役員、献花献茶奉仕者に振る舞う素麺】

 

祭礼終了御、社務所で直会(なおらい)を行い、総代参列者献花献茶奉仕者に御神酒とお弁当、

お素麺を召し上がって頂きました。素麺の振る舞いは、60年ほど毎年行っている黒龍神社の恒例

伝統行事で、今年は例年より暑い気候のためか、お素麺をおかわりされる方が殆どでした。^ー^b

神社のおばあちゃんにきいたところ今年は「60束」の素麺を湯がいたとの事。20年ほど前までは、

素麺のだしはかしわのだしを使用していたのだが、時の総代会長であった辻万さんの要望により

鰹とこんぶ、しいたけのだしに変わったとの事。60束分のだしはお鍋2個分の量になったとか・・;

 

【PM7時より恒例の民謡踊り】

今年は35名の参加で、これもまた古くから続いている伝統行事です。

東日本大震災被災者の冥福とこれからの発展、そして氏子地域の安全と

繁栄を祈り、かしわ手の音と踊り子の楽しい声が境内に響き渡っていました。

 

【神前に供えられた九座の神饌と献花献茶】

米寿のお祝い

2011年7月22日 金曜日

7月18日、毛谷黒龍神社のおばあちゃんの88歳を祝う、

米寿のお祝いがユアーズホテルで執りおこなわれました。

 

二十歳の頃に京都から毛谷黒龍神社に嫁いで68年の歳月

を迎えました。戦前より福井空襲や福井地震、激動の時代

から神社をかげからささえてきたおばあちゃん。おばあちゃんと

交わすいつものなにげない想い出話のなかには、歴史の生き

証人ともいえる深く感じさせられる大切なものがたくさんあります。

 

ひとつのエピソード※

「今年の夏は暑いね~。京都の祇園祭もたぶん暑いやろうの~。

私も福井にきてもう68年目やけど、毎年この時季になると京都の

祇園祭を思い出すね。祇園祭になるとお母さんがきんちゃく寿司を

作ってくれてなー、それを姉ちゃんや家族で食べるのが好きやった

んや。八坂にいたときのいい想い出やった・・。昭和18年に福井へ

きてなーその2年後に福井空襲があったんや。お昼ご飯の仕度

したら空襲警報がなってな、B29の飛行機が飛んでくる音がわかっ

たんや。私の旦那のお父さんと神社のうしろに隠れ逃げたんやわ・・。

そしたら数分もたたんうちに飛行機の大群がきて焼夷弾をおとした

んや。もう神社の前の道でバーンバーンって弾ける音がひどくてな、

ちょうどその頃うちの旦那(前宮司:山本治)が福井神社の当直の

日でな、福井神社の御神体をおんぶして黒龍神社のうしろに走っ

てきたんや。お父さんが「治、よくやった!よくやったな!!」って

泣きながら旦那を讃えなってな。あとで聞いたら治さんは生まれて

初めて神主として先代のそのお父さんに本気で褒められたんやっ

ての~。爆弾が落ちてくるなかを、神様をおんぶして県庁のところ

からこの神社まで走ってきなって、神様を燃やしてはならんという

神主としての心にお父さんも、神社のうしろに一緒に避難していた

近所の人も、ひどく喜んでなったのー。それがあって「戦争なんか

に負けてなるものか」って不安だった気持ちが復興の負けん気に

なってなー。一晩神社のうしろで過ごして朝境内からあたり見回

したら福井市内なんにもなかったよ。ここの神社は山の際にある

からかの~焼けんかったんよ。神社社務所の前に大きな銀杏の

木があってその銀杏の木が水を噴いての~、福井神社の神様を

黒龍さんの本殿に合祀しての、だからここの神様も、福井神社の

神様も焼けてない神様やから大事にせなあかんのやよ。いまの

神主さんたちがそうゆう歴史を知っているかはわからないけれど、

本当に大変な時代やった・・。」「なにもない状態から福井の人は

バラックで家を建ててあるもので耐えながら徐々に復興していった。

福井の人はすごい頑張ったんよ。ここの神社の社務所も5組の

戦災を受けた家族が1~2年住んでなって、みんな助け合って

生活してた。5歳くらいの男の子がおしっこもらしてお母さんに

ひどい叱られてたの覚えてるよ。足羽川で洗ってきなさい!って

怒られた男の子はシーツとパンツとバケツもってひとりで足羽川

まで歩いていっての~。でもそのお母さんも小さい子おんぶしな

がらその子の後をそっとついていって見てなったよ。心配やった

やろうけど、昔の人はしつけをちゃんとしてなった。時代が悪くても

生きる人の心はよかったよ。」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

自宅の茶の間でなにげなく交わすおばあちゃんとの会話は、

戦災震災の事や料理のしかた(私も料理作るの好きなので)、

たまに宮司(私の父)の子どもの頃のオイタした話とか、親戚

である足羽神社さんや木田神社さんの歴史的な話など、興味

深い事から面白い話まであり、私自身学生時代、大學のレポ

ートでおばあちゃんの話を題材に論じてランク「A」を戴いたこと

もあったり。いつか色んな話をまとめ、残したいと想っております。

 

米寿のお祝いは、先ず宮司がおばあちゃんのために心のプレゼント

として神社で八十八歳の参賀祭祈願をし、その後、親類が集まって

ユアーズホテルへ移動、米寿を祝う会を身内親類間で行いました。

 

“7月おばあちゃんの88歳の誕生日”

孫一同で誕生日ケーキをユアーズHさんに準備していただきました。

 

“ご年配にもお子さんにも合う料理を提供して頂けました”

 

最後は、みんなで記念写真とひと家族ずつおばあちゃんと

写真を撮り祝宴を修めました。本当に喜んでおりました。

これからの日本も明るくそして家族の絆を深めるべく『祝う』

輪が広がればいいなーと思いました。プラス思考で前向きに・・。

 

“手のひらサイズのお餅”

引き出物にかわせ餅店のつきたて餅と、ユアーズHのドレッシ

ング&鯖缶(←県外の人に人気)セット&ケーキが贈られました。

 

毛谷黒龍神社でも、参賀祭(歳祝い)の祀りを行うことができます。

福井の土地柄として「厄払い」が支流ですが、関東や東北の方では、

還暦以上の歳祝い祈願行っているところが多く見受けられます。

 

形としてはお子さんの七五三参りや十三参りような祈願祭で、

おじいちゃんおばあちゃんのお祝いと健康、長寿を願うお祀り。

日頃の感謝を込めてお祀りすること、御先祖様も見ておられ、

家族運がきっと上がることでしょう。これからの絆と家運龍祥へ。

 

“木田神社のみそぎ”

お祝いとお花を戴いていたので引き出物を届けました。

金岡宮司さんと氏子青年会さんの大祓禊ぎが行われておりました。

 

 

 

災害復興、水無月の大祓、子授け

2011年7月2日 土曜日

先週の一週間、心と体ともども慌ただしい日を過ごしていた記憶が、

今は夏のさやさやと流れる風のように、心の余韻を浸しております。

 

6月27日と28日の2日間、福島県いわき市の久ノ浜へ趣き津波に

よって壊滅的なダメージをうけた被災の地復興支援活動に行って参り

ました。内容は、住宅のがれき撤去作業。福島県の青年神職11名、

福井県の青年神職10名がタッグを組み、久ノ浜諏訪神社さんの周辺

の住宅を一軒一軒、がれきの撤去を行い泥なども掃き取りきれいに

していく作業を行いました。総勢21名の作業員で27日の午後~28日

の午後2時頃までの作業でようやく家一軒のげれき撤去が完遂できる

塩梅。報道や仲間から聞き入る状況でその作業内容を想定していても、

実際の現場に足を踏み入れてみれば、そんな容易いものではなかった。

 

入った現場は、久ノ浜のきれいな美容室。住宅と美容室が一体となっていて

外観もきれいな佇まいでした。きっと多くの地域の方々が、ここを利用していた

んだろうな~と風情を浮かべることができます。津波が1階部分をめちゃめちゃに

したのでしょう。鏡、窓、洗面台、あらゆる割れ物がバキバキに割れていて、割れ

残った窓ガラスは大きな刃物を並べるかのように窓枠にくっついていました。

床には津波の泥と割れたガラスが入り交じり、分別の作業を手こずらせました。

一番の作業の正念場は台所付近でした。テーブルや食器棚、レンジ台、冷蔵庫

などの家電用品の運び出しや台所付近のリビングに散乱している泥まみれの本や

雑誌、書類、食器、写真等の分別運び出し作業を行いました。震災から3ヶ月半も

経てば腐敗する物は腐敗し、本当に災害直後からその画がピタッと止まったままの

後景を無言で受け止めながら出来る限りのクリーニングを行いました。あたりまえの

ような普段の生活を送っていた我々にとっては、偽善心なのか捨て去られるすべての

ものが悲しくて儚くて、それでも捨てなきゃ始まらないし、そのお家のお子さんのであろう

表彰状一枚撤去することがとても切なかった・・・。がれきの撤去にあたり、その家主の方

からは「がれきの中から写真と通帳、はさみ(美容師用)がみつかればとっといて戴いて、

後は処分して戴いて構いません。」との申し出が事前に伝えられており、その言葉を強く

胸の中にしいて、作業にあたりました。作業を終え、その住宅の道沿いの奥手まで仲間と

散策してみました。紙一重で現状を維持しているお家もあれば、大半は1階部分が窓枠と

柱だけのお家や傾いているのに柱一本斜め立ってるお家、1階部分がつぶれて道路に

はみ出ているお家、非常用滑り台がもげコンクリートの階段の下半分が無くなっていて、

てつ棒がひん曲がり、ブランコもばらばらになって埋まっていて、1階部分が荒れ果てた

惨状になっている幼稚園、「・・・どうしようもない。・・しかし一歩ずつやっていくしかない。」

そう自分に言い聞かせるしかなかった。今回の復興作業のベースキャンプである諏訪神社の

高木祢宜神職さんから、震災直後の津波によって火の海に包まれた200メートル先の現場

状況や津波から逃げる間もなく亡くなった方、逃げている間に亡くなった方、介護等をしていて

逃げずに亡くなった方の話や、復興しようとしていても政府がその現場に原発の塵廃材を持って

こようとしているといった腹の立つ情報や、災害が起きてから支援の手が届くまでの状況や色々

なお話を受け、一人でも多くの支援の手が必要であると認識しました。利権や損得を考えず、

だた物資を送ったり、金銭を積むことも大事かもしれないが、いくら物や金があっても使う当てを

彷徨えば手の届いていない被災者にとってはなんの復興にもなっていないものであって、

自分たちの生活や仕事を大事にしつつも一日でも半日でもいい、現地へみんなで助けに向かう

多くの精神が早く日本人の心の中に復興しないかなと、福井に帰る車の中でずっと考えていました。

 

【津波のあと焼けた街、閑かに手を合わしました。】

 

 

復興作業を一仕事やお付き合いと捉えず、素直に人助けでいいんじゃないかな??なんて。

被災地の写真をわかりやすくもっと載せるべきなのかもしれませんが、出発の為、福井から

自宅を出る前にカメラを持って行くかどうか迷ったのですが結局もって行きませんでした。;

被災現場は別に見せ物じゃないしなー!なーんて、自分なりに想ったり・・一人くらい

カメラをもっていない他県の人間がいてもいいのじゃないかなーとも。福島の被災された

方々がもしかしてそう想われているかもしれない。でも世に語り継ぐための記録は後の世に

必要なのかもしれない。実際に自分の家が焼けて壊れてボロボロになった姿を、あんまり人に

撮って欲しくはないかもしれない、カメラひとつで迷う自分が小さい人間だなーと感じました。

 

 

29日の夜中、震災の復興作業から福井へ帰還し、6月30日いよいよ毛谷黒龍神社の

夏越の大祓神事が執り行われました。明治時代より代々続くこの大祓神事は、人形を

神社に納め、茅で作った茅の輪をくぐり、半年間の身の穢れを祓う神事です。28日~

30日の夜9時まで自由に参拝できるように設置してあり、30日の一日の輪くぐり参詣者は

初めての方も含め六十数組のご家族や恋人、お友達同士やお参りに来られておりました。

 

 【明治より続く、滝と池の姿をした茅の輪】

 

【茅の輪をくぐるときに一人ひとり持つ祓い草】

 

【右に座っているひとは黒龍神社のおばあちゃんです。】

 

神主さんをはじめ家族交代で茅の輪のお参りの方に作法を

わかりやすく説明しています。昭和20年、おばあちゃんが

黒龍神社に嫁がれてからずっと、大祓いのお参りに来られる

方々の輪くぐりの作法をお話しています。きのうで88歳の米寿

を迎えました。戦後、地震の復興からすべてを知っている黒龍

神社のおばあちゃん。いつまでも元気でいてほしいです。   

  

【茅の輪は午後10時に解体、人形は茅舟とともに海へ】         

 

今日7月2日(土)、暦では半夏生ということで当神社の宮司は朝から

兼務神社の祭礼に出向しており、私は黒龍神社で詰めております。

 

そんな中、「お子さんを授かった」と御守りを受けにこられたご家族から

報告がございました。お母さんの腕の中にはまあるい赤ちゃんが、

報告をし御守りを受けにこられたおばあちゃんの隣にはその

赤ちゃんのお兄ちゃんとお姉ちゃんである元気そうな男の子と

女の子がポッと立っておりました。この一週間で複雑に重くなっていた

自分のこころが、授かったという言葉と赤ちゃんと子どもたちのたわわ

な姿を拝見し、不思議と気持ちが和らいだ感じに包まれております。

 

「赤ちゃんが授かった」という報告は、神職である私にとって神様からの

有り難いごほうびをいただいたように感じます。生きる力を祈り捧げたい。

 

東北で被災された方々にも・・・