災害復興、水無月の大祓、子授け

先週の一週間、心と体ともども慌ただしい日を過ごしていた記憶が、

今は夏のさやさやと流れる風のように、心の余韻を浸しております。

 

6月27日と28日の2日間、福島県いわき市の久ノ浜へ趣き津波に

よって壊滅的なダメージをうけた被災の地復興支援活動に行って参り

ました。内容は、住宅のがれき撤去作業。福島県の青年神職11名、

福井県の青年神職10名がタッグを組み、久ノ浜諏訪神社さんの周辺

の住宅を一軒一軒、がれきの撤去を行い泥なども掃き取りきれいに

していく作業を行いました。総勢21名の作業員で27日の午後~28日

の午後2時頃までの作業でようやく家一軒のげれき撤去が完遂できる

塩梅。報道や仲間から聞き入る状況でその作業内容を想定していても、

実際の現場に足を踏み入れてみれば、そんな容易いものではなかった。

 

入った現場は、久ノ浜のきれいな美容室。住宅と美容室が一体となっていて

外観もきれいな佇まいでした。きっと多くの地域の方々が、ここを利用していた

んだろうな~と風情を浮かべることができます。津波が1階部分をめちゃめちゃに

したのでしょう。鏡、窓、洗面台、あらゆる割れ物がバキバキに割れていて、割れ

残った窓ガラスは大きな刃物を並べるかのように窓枠にくっついていました。

床には津波の泥と割れたガラスが入り交じり、分別の作業を手こずらせました。

一番の作業の正念場は台所付近でした。テーブルや食器棚、レンジ台、冷蔵庫

などの家電用品の運び出しや台所付近のリビングに散乱している泥まみれの本や

雑誌、書類、食器、写真等の分別運び出し作業を行いました。震災から3ヶ月半も

経てば腐敗する物は腐敗し、本当に災害直後からその画がピタッと止まったままの

後景を無言で受け止めながら出来る限りのクリーニングを行いました。あたりまえの

ような普段の生活を送っていた我々にとっては、偽善心なのか捨て去られるすべての

ものが悲しくて儚くて、それでも捨てなきゃ始まらないし、そのお家のお子さんのであろう

表彰状一枚撤去することがとても切なかった・・・。がれきの撤去にあたり、その家主の方

からは「がれきの中から写真と通帳、はさみ(美容師用)がみつかればとっといて戴いて、

後は処分して戴いて構いません。」との申し出が事前に伝えられており、その言葉を強く

胸の中にしいて、作業にあたりました。作業を終え、その住宅の道沿いの奥手まで仲間と

散策してみました。紙一重で現状を維持しているお家もあれば、大半は1階部分が窓枠と

柱だけのお家や傾いているのに柱一本斜め立ってるお家、1階部分がつぶれて道路に

はみ出ているお家、非常用滑り台がもげコンクリートの階段の下半分が無くなっていて、

てつ棒がひん曲がり、ブランコもばらばらになって埋まっていて、1階部分が荒れ果てた

惨状になっている幼稚園、「・・・どうしようもない。・・しかし一歩ずつやっていくしかない。」

そう自分に言い聞かせるしかなかった。今回の復興作業のベースキャンプである諏訪神社の

高木祢宜神職さんから、震災直後の津波によって火の海に包まれた200メートル先の現場

状況や津波から逃げる間もなく亡くなった方、逃げている間に亡くなった方、介護等をしていて

逃げずに亡くなった方の話や、復興しようとしていても政府がその現場に原発の塵廃材を持って

こようとしているといった腹の立つ情報や、災害が起きてから支援の手が届くまでの状況や色々

なお話を受け、一人でも多くの支援の手が必要であると認識しました。利権や損得を考えず、

だた物資を送ったり、金銭を積むことも大事かもしれないが、いくら物や金があっても使う当てを

彷徨えば手の届いていない被災者にとってはなんの復興にもなっていないものであって、

自分たちの生活や仕事を大事にしつつも一日でも半日でもいい、現地へみんなで助けに向かう

多くの精神が早く日本人の心の中に復興しないかなと、福井に帰る車の中でずっと考えていました。

 

【津波のあと焼けた街、閑かに手を合わしました。】

 

 

復興作業を一仕事やお付き合いと捉えず、素直に人助けでいいんじゃないかな??なんて。

被災地の写真をわかりやすくもっと載せるべきなのかもしれませんが、出発の為、福井から

自宅を出る前にカメラを持って行くかどうか迷ったのですが結局もって行きませんでした。;

被災現場は別に見せ物じゃないしなー!なーんて、自分なりに想ったり・・一人くらい

カメラをもっていない他県の人間がいてもいいのじゃないかなーとも。福島の被災された

方々がもしかしてそう想われているかもしれない。でも世に語り継ぐための記録は後の世に

必要なのかもしれない。実際に自分の家が焼けて壊れてボロボロになった姿を、あんまり人に

撮って欲しくはないかもしれない、カメラひとつで迷う自分が小さい人間だなーと感じました。

 

 

29日の夜中、震災の復興作業から福井へ帰還し、6月30日いよいよ毛谷黒龍神社の

夏越の大祓神事が執り行われました。明治時代より代々続くこの大祓神事は、人形を

神社に納め、茅で作った茅の輪をくぐり、半年間の身の穢れを祓う神事です。28日~

30日の夜9時まで自由に参拝できるように設置してあり、30日の一日の輪くぐり参詣者は

初めての方も含め六十数組のご家族や恋人、お友達同士やお参りに来られておりました。

 

 【明治より続く、滝と池の姿をした茅の輪】

 

【茅の輪をくぐるときに一人ひとり持つ祓い草】

 

【右に座っているひとは黒龍神社のおばあちゃんです。】

 

神主さんをはじめ家族交代で茅の輪のお参りの方に作法を

わかりやすく説明しています。昭和20年、おばあちゃんが

黒龍神社に嫁がれてからずっと、大祓いのお参りに来られる

方々の輪くぐりの作法をお話しています。きのうで88歳の米寿

を迎えました。戦後、地震の復興からすべてを知っている黒龍

神社のおばあちゃん。いつまでも元気でいてほしいです。   

  

【茅の輪は午後10時に解体、人形は茅舟とともに海へ】         

 

今日7月2日(土)、暦では半夏生ということで当神社の宮司は朝から

兼務神社の祭礼に出向しており、私は黒龍神社で詰めております。

 

そんな中、「お子さんを授かった」と御守りを受けにこられたご家族から

報告がございました。お母さんの腕の中にはまあるい赤ちゃんが、

報告をし御守りを受けにこられたおばあちゃんの隣にはその

赤ちゃんのお兄ちゃんとお姉ちゃんである元気そうな男の子と

女の子がポッと立っておりました。この一週間で複雑に重くなっていた

自分のこころが、授かったという言葉と赤ちゃんと子どもたちのたわわ

な姿を拝見し、不思議と気持ちが和らいだ感じに包まれております。

 

「赤ちゃんが授かった」という報告は、神職である私にとって神様からの

有り難いごほうびをいただいたように感じます。生きる力を祈り捧げたい。

 

東北で被災された方々にも・・・

 

 

 

 

 

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