福島県浪江町震災復興支援活動へ 8月4日~5日

前日までの横浜生麦杉山神社夏の例大祭を終え、新幹線で福島に入りました。

福島駅で福井・石川の青年神職を乗せた車が迎えに着ておりました。

いざ福島県浪江町警戒区域解除地区諏訪神社へ。

 

 

新潟・富山・石川・福井・福島の青年神職の福島と北陸の復興支援合同チーム(計32名)が浪江町に入りました。

 

 

 

【拝殿正面】

震災と福島第一原発放射能漏れ事故以来諏訪神社は倒壊したままの姿です。

 

【本殿】宮司さんと総代さんの御神体を安らかにお祀りできる仮の昇社殿をとにかく奉建させたいという想いで、今回崩れている本殿の解体作業に臨みました。

 

いざ、各自持ち得たハンマーやチェンソー、バール、草刈り機を使用し、本殿解体作業班は、何十回と復興支援活動の現地入りを経験している富山県神道青年会を筆頭に石川神青・福井神青・福島神青が作業にあたり、参道整備班は、新潟神青と福島神青で山の奥地に位置する社殿から100㍍強ある参道と40段以上ある階段付近を草刈り機4台での除草と鬱蒼としている細竹を取り除いていきました。

 

 

 

 

 

【平らになった本殿神座】倒壊本殿解体から4時間後、本殿の土台がきれいになり、参道も人が普通にお参りできるようなすっきりした状態になりました。

社殿の方は、今後賠償の問題もあるのでそのままにして欲しいと総代さんの申し出により、現状のままに。

神様を奉鎮する仮の本殿が建てられる場所ができたことを、宮司さんや総代さんはとても喜んでおられました。

総代さんは当初、こんな作業したってなにもならない!と苛立ちをあらわしておられましたが、青年神職の活動と自分たちがお護りしていたお社がきれいになっていく姿に最後は笑顔隠せない表情で“ありがとう!”と言葉を残されました。

神社をきれいにしてもなにもならない・・・一般的にはそう解釈されるかもしれませんが、100年300年1,000年と昔から色々な地で祭りやお参りを通し日本の心のよりどころである神社を、先ず誠のかたちにもどす事がどんな意味をもたらすか、私たち神職は理解しています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

津波を受け基礎だけになってしまった海岸よりの神社、ここは社殿、宮司さんや宮司さんの奥さん、禰宜さんと禰宜さんの奥さんが亡くなられた神社です。お子さんだけが生還し、お子さんの意志で現在神職の資格を取得されたとの事です。

 

 

 

 

 

 

 

【初發神社参道】

 

【初發神社社務所前広場での解散式】

 

【解散式あたり、福島県神道青年会 田村副会長挨拶】警戒区域解除地区の初發神社の宮司さん

ここら一帯は未だゴーストタウン状態です。津波をうけた原発の被害をうけた警戒解除地区神社で以前きれいにした初發神社のお賽銭箱に10円玉、5円玉が数個入っていたというかがいました。地域の氏子さんがお参りにこられたのですね。

いつもの生活にもどれるように、いつもの日々に、生活の心の安心とその根源に神社という役割が活きています。この先を信じるべく、復興を信じるべく、震災に遭われた慰霊が安らかにおられることを信じるべく、生きているという心の証を神様に通ずるお賽銭に意味を託すのでしょう。この深い意味を一般の方にもわかって戴きたいと願っております。

 

 

 

 

胸には「感謝」とうい文字が刻まれておりました。福島の青年神職さん皆この服をまとって復興支援に訪れる人々を迎えます。

 

・・・・福島県では、原発避難指示区域内に鎮座する二百数十社は神社としての護持が極めて難しい状況が続き、神職の就労確保も喫緊の課題となっている。意識の風化被害を食い止め、一日も早い復興実現の為にも、氏神神社の境内地の整備保全に取り組み、帰宅希望者が安心して日々の祈りを捧げられる場所を確保する事が求められている。
 去る六月五日、福島県神道青年会創立六十五周年記念式典が行われ、大森幹久会長は「真の復興へ向け、何十年もかかる先の見えない活動になる。時には心が折れそうになるが、全国の青年神職の励ましを胸に全力で闘い抜く。」と力強く宣言された。 此の上は、復興に向けて立ち向かう仲間を助け、一日も早くお参りが出来る環境を整え、少しでも被災者の心に寄り添えるよう、神職ならではの事業を展開したい。

 

震災より怖いのは被災地への無神経と無関心。

 

解決する限り復興支援を続けて参ります。

金だけじゃ-どうにも解決にならん地道な取り組みを

この先何十年続いても・・・

 

 


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