月別アーカイブ: 8月 2014

福島県浪江町震災復興支援活動へ 8月4日~5日

前日までの横浜生麦杉山神社夏の例大祭を終え、新幹線で福島に入りました。 福島駅で福井・石川の青年神職を乗せた車が迎えに着ておりました。 いざ福島県浪江町警戒区域解除地区諏訪神社へ。     新潟・富山・石川・福井・福島の青年神職の福島と北陸の復興支援合同チーム(計32名)が浪江町に入りました。       【拝殿正面】 震災と福島第一原発放射能漏れ事故以来諏訪神社は倒壊したままの姿です。   【本殿】宮司さんと総代さんの御神体を安らかにお祀りできる仮の昇社殿をとにかく奉建させたいという想いで、今回崩れている本殿の解体作業に臨みました。   いざ、各自持ち得たハンマーやチェンソー、バール、草刈り機を使用し、本殿解体作業班は、何十回と復興支援活動の現地入りを経験している富山県神道青年会を筆頭に石川神青・福井神青・福島神青が作業にあたり、参道整備班は、新潟神青と福島神青で山の奥地に位置する社殿から100㍍強ある参道と40段以上ある階段付近を草刈り機4台での除草と鬱蒼としている細竹を取り除いていきました。           【平らになった本殿神座】倒壊本殿解体から4時間後、本殿の土台がきれいになり、参道も人が普通にお参りできるようなすっきりした状態になりました。 社殿の方は、今後賠償の問題もあるのでそのままにして欲しいと総代さんの申し出により、現状のままに。 神様を奉鎮する仮の本殿が建てられる場所ができたことを、宮司さんや総代さんはとても喜んでおられました。 総代さんは当初、こんな作業したってなにもならない!と苛立ちをあらわしておられましたが、青年神職の活動と自分たちがお護りしていたお社がきれいになっていく姿に最後は笑顔隠せない表情で“ありがとう!”と言葉を残されました。 神社をきれいにしてもなにもならない・・・一般的にはそう解釈されるかもしれませんが、100年300年1,000年と昔から色々な地で祭りやお参りを通し日本の心のよりどころである神社を、先ず誠のかたちにもどす事がどんな意味をもたらすか、私たち神職は理解しています。                             津波を受け基礎だけになってしまった海岸よりの神社、ここは社殿、宮司さんや宮司さんの奥さん、禰宜さんと禰宜さんの奥さんが亡くなられた神社です。お子さんだけが生還し、お子さんの意志で現在神職の資格を取得されたとの事です。 … 続きを読む

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横浜 生麦杉山神社夏祭り(禰宜さん出張お手伝い)

國學院大學を卒業後、4年間奉職していた横浜の杉山神社の例大祭に行って参りました。 杉山神社は横浜市鶴見区生麦に鎮座し、歴史でも習った生麦事件の起きた地域でもあります。 ご祭神は日本武尊(ヤマトタケルノミコト)。8月1日~3日まで夏祭りのお手伝いをしました。 宮司さんや総代さんが当時いた頃の私の人情をかって頂き、福井に帰ってきて10年経った今も 有り難くも夏のお祭りに呼んで下さいます。       3日の当日祭、朝8時半より御輿が宮出しされ、生麦・大黒・岸谷・鶴見中央の国道15号線(箱根駅伝鶴見中継地点付近)を練り歩きます。           宮出し後、130段程ある階段を担ぎ手自らの手で下ろして行きます。             【京浜急行生麦駅前商店街】ヨイサッ、ヨイサッ、と総勢50人以上の担ぎ手が御輿を揉みながら神様を町々へと繰り出していきます。       国道15号線の真っ只中に出てきました。 粋な威勢に圧倒されます。             国道を折り返し旧東海道に入りました。沿道には縁起を担ごうと大勢の人がおひねりを握り御輿を迎えます。ここからはおよそ4時間半掛けて旧東海道生麦を練り歩いていきます。 この時点で、装束の烏帽子をかぶっている私のおでこから下が日焼けして、仕事を終えて横浜から福井に帰るときおでこは白く、顔は黒く、まわりの異様な視線を気にしながらJRの帰路を過ごしています。汗でながれ日焼け止めが効かないのです。         【御神輿の御旅所(休憩所)でふるまわれるあさりのお味噌汁】旧東海道は昔から魚貝の宝庫でもあり、あさりの旨みと程良い塩分が疲れた身体と精神をよみがえらせます。むかーしの人の身体に善い食べ物への知恵と心が伝わって参ります。 … 続きを読む

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